「69 Sixty Nine」
村上龍の小説はほとんど読んだことがない。
でもデビュー作のことはよく憶えている。
黄昏つつある大学の構内でわたしを見つけた3歳年長の友人が下駄の音も高らかに走ってきて「今度の群像新人賞知ってる?」と聞いたのだ。
彼は、すごい新人だ、これこそ新時代の文学だ、ロックとファックの文学だ、と誰かの受け売りのような話を熱っぽく語り始めた。
熱に当てられるようにしてわたしも『群像』に載ったその作品を読んでみた。
えげつない内容なのに読後感の爽やかさが印象に残った。
それが村上龍「限りなく透明に近いブルー」との出会いだった。
その小説はやがて芥川賞をとり、単行本になってミリオンセラーになった。
マスメディアに露出するようになった村上龍は、腫れぼったいまぶたがあの友人とよく似ていた。
その後何年もたって別の友人から「コインロッカーベイビーズ」を借りて読んでみたが、あまり面白くもなく途中で投げ出してしまった。
「69 Sixty Nine」はだからわたしにとってそれ以来の村上龍の作品だ。
作者と思しき主人公の少年が、友人たちとかたらって学校をバリケード封鎖したり、ロックや自主映画、演劇などのフェスティバルを開いたりといったエピソードを淡い恋愛を交えて描いている。
読み口は軽く、あっという間に読み終えた。
軽薄な文体は1969年という時代に17歳だった少年の軽薄さそのものを写しているのだろう。
通俗的なもの、退屈なものに対する情け容赦のない蔑視もあの時代という背景を抜きにしては語れない。
正統な青春小説の系譜につながるこの小説は、軽く読み流して消費して行くのが正しい。
だが、読み終えて、なぜデビュー作以後この作者の作品に親しんで来なかったのか改めてその訳を思い知った。
つまり、嫉妬なのだ。
ほぼ同世代に属する作者とこの俺の、彼我の差のなんと激しいことか。
「69」に出てくる夥しい固有名詞、それは多くがロックやジャズのミュージシャンだったり曲名だったりだが、知っているのはごくわずか。
レッド・ツェッペリンもクリームもドアーズもその当時は知らなかった。
チャーリー・ミンガスやウェス・モンゴメリーを知るのもずーっと後のことだ。
なにしろ彼らがビートルズをコピーしているとき、わたしがガットギターで最初の練習曲に選んだのは「花はどこへ行ったの?」だったのだから。♪うぇーはぶおーざふらわーずごぉん・・Orz。
時代の潮流を知らないということはとてつもない恥だったんである。
21歳のわたしは23歳の村上龍が書いた「限りなく透明に近いブルー」で描かれるあんなことやこんな会話に嫉妬していたのだ。
だって、文学部の学生なんてジャズを聴き、クスリのひとつもやらなきゃいっぱしじゃないような風潮がまだ残ってましたから、あの頃(うそですけど)。
だから無理してジャズやブルースも聴いたけど、でも一番聴いたのは森田童子だったりして。
サルトルやジェネも大江健三郎も読んだけど、一番夢中になったのは西村寿行だったり・・。
と、とりとめもなく昔を思い出してしまう小説なのであった。


あぁ易熱、熱しやすい性格の面目躍如です。雫井脩介にはまって、「虚貌」上下も睡眠時間を削って読んでしまいました。
いやぁ、参りました。もう降参です、はい。
あぁ面白かった。
軍事ポリティカルフィクションというのだそうだ。現実の国際情勢を絡めた軍事アクション。
つうわけで先日図書館から借りてきた『看守眼』を読み終えました。
いやー、やっと読み終わりました。花粉症の症状はほとんど出てないんですが、クスリの副作用がきつくて、この小説もずっと副作用を増強させてくれて・・。
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