April 23, 2005

「69 Sixty Nine」

69村上龍の小説はほとんど読んだことがない。
でもデビュー作のことはよく憶えている。
黄昏つつある大学の構内でわたしを見つけた3歳年長の友人が下駄の音も高らかに走ってきて「今度の群像新人賞知ってる?」と聞いたのだ。
彼は、すごい新人だ、これこそ新時代の文学だ、ロックとファックの文学だ、と誰かの受け売りのような話を熱っぽく語り始めた。

熱に当てられるようにしてわたしも『群像』に載ったその作品を読んでみた。
えげつない内容なのに読後感の爽やかさが印象に残った。
それが村上龍「限りなく透明に近いブルー」との出会いだった。
その小説はやがて芥川賞をとり、単行本になってミリオンセラーになった。
マスメディアに露出するようになった村上龍は、腫れぼったいまぶたがあの友人とよく似ていた。

その後何年もたって別の友人から「コインロッカーベイビーズ」を借りて読んでみたが、あまり面白くもなく途中で投げ出してしまった。
「69 Sixty Nine」はだからわたしにとってそれ以来の村上龍の作品だ。

作者と思しき主人公の少年が、友人たちとかたらって学校をバリケード封鎖したり、ロックや自主映画、演劇などのフェスティバルを開いたりといったエピソードを淡い恋愛を交えて描いている。
読み口は軽く、あっという間に読み終えた。

軽薄な文体は1969年という時代に17歳だった少年の軽薄さそのものを写しているのだろう。
通俗的なもの、退屈なものに対する情け容赦のない蔑視もあの時代という背景を抜きにしては語れない。

正統な青春小説の系譜につながるこの小説は、軽く読み流して消費して行くのが正しい。
だが、読み終えて、なぜデビュー作以後この作者の作品に親しんで来なかったのか改めてその訳を思い知った。

つまり、嫉妬なのだ。
ほぼ同世代に属する作者とこの俺の、彼我の差のなんと激しいことか。
「69」に出てくる夥しい固有名詞、それは多くがロックやジャズのミュージシャンだったり曲名だったりだが、知っているのはごくわずか。
レッド・ツェッペリンもクリームもドアーズもその当時は知らなかった。
チャーリー・ミンガスやウェス・モンゴメリーを知るのもずーっと後のことだ。
なにしろ彼らがビートルズをコピーしているとき、わたしがガットギターで最初の練習曲に選んだのは「花はどこへ行ったの?」だったのだから。♪うぇーはぶおーざふらわーずごぉん・・Orz。

時代の潮流を知らないということはとてつもない恥だったんである。
21歳のわたしは23歳の村上龍が書いた「限りなく透明に近いブルー」で描かれるあんなことやこんな会話に嫉妬していたのだ。
だって、文学部の学生なんてジャズを聴き、クスリのひとつもやらなきゃいっぱしじゃないような風潮がまだ残ってましたから、あの頃(うそですけど)。
だから無理してジャズやブルースも聴いたけど、でも一番聴いたのは森田童子だったりして。
サルトルやジェネも大江健三郎も読んだけど、一番夢中になったのは西村寿行だったり・・。

と、とりとめもなく昔を思い出してしまう小説なのであった。


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April 20, 2005

「虚貌」

kyoboあぁ易熱、熱しやすい性格の面目躍如です。雫井脩介にはまって、「虚貌」上下も睡眠時間を削って読んでしまいました。
正直、寝不足と連日の過剰な活字漬けで頭の中はぐちゃぐちゃになってます。

この作品正直なところ「犯人に告ぐ」や「火の粉」に比べ出来は落ちます。
視点の変化が効果的とはいえないし、怪人二十面相的トリックも大人の読者には耐えられないでしょう。
中だるみも見受けられます。
それでも読み通してしまったのは、それだけの筆力があったということなんでしょうね。
学生時代ならいざ知らず、今の自分に退屈な小説を読み通す義理も体力もありませんから。

さ、今日は早く寝よっと。

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April 19, 2005

「火の粉」

hinokoいやぁ、参りました。もう降参です、はい。
「犯人に告ぐ」があんまり面白かったので、同じ作者の本書を読み始めたらまた止まらなくなってしまいました。

隣に住む親子三人殺害事件の被告に無罪判決を言い渡した元裁判官の隣の家に、その元被告の男が移り住んで来る。
それから、元裁判官一家の日常の歯車が微妙に狂い始めて・・・。
子育てやら、老人の介護やらと市井の日常のディテールを積み上げて行って、それらが少しずつ狂って行く恐怖はS・キングを髣髴させるけど、キングよっかずっと読みやすく面白いってことは請合うね、あっしゃー家の崩壊。

「犯人に告ぐ」ともども家人に絶対読め、せっかく買ったんだからおれ一人読んだんじゃもったいないと、きつく申し付けておきました、はい。

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April 17, 2005

「犯人に告ぐ」

hanninあぁ面白かった。
寝食どころか仕事を忘れて読んでしまったぞ(おいおい、いいのか?)

嘘じゃないから、一読をおすすめします。
とにかく読め。今すぐ読め。いいから読め。つべこべいわずに読め。
騙されたと思って読め。

捜査が難航している幼児連続殺害事件の指揮に抜擢された主人公の警視は、6年前の幼児誘拐事件の捜査ミスで被害者を殺されたうえ、釈明の記者会見で逆切れし、県警の威信を地におとした男。
そんな男を抜擢した本部長というのが、6年前に警視に責任を被せた当時の刑事部長。
なぜ抜擢したかというと、左遷された田舎の所轄でこの警視抜群の実績を挙げていたからなんですね。

捜査はこの丹波哲郎のようにテンションの高い本部長の発案で、劇場型犯罪を向こうに回した劇場型捜査を繰り広げます。
すなわち警視がTVニュース番組に出演して自ら犯人に呼びかけるというのです。
この警視は52歳になってウェーブの掛かった豊かな長髪を肩近くまで伸ばしているというのですからさしずめ田村正和でしょうか?

この捜査の進展と、捜査陣内部の足の引っ張りあい、ライバルTV局へのリークなどが絡んで先の読めないもどかしさ面白さに気がつけば2日で読み終えていました(もったいない)。
プロローグにしてはいやに長いと思った6年前の事件の描写も、状況説明以上の伏線(謎解きのじゃなく)になっているし、第一級のストーリーテリングの妙を楽しませてもらいました。

そうそう蛇足だけど、警察小説といえば最近では横山秀夫がひとり気を吐いていますが、前々から気に入らなかったのはこの人の書く小説には笑いの要素がほとんどないということ。
わざとらしいギャグというのではなく、人が汗している中にも笑いの要素はあるだろうにってことです。
あの重厚長大の鑑のような高村薫にしてからがそこはかとない笑いの要素を持っています。
その点でも雫井脩介ははなまる級です。

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April 12, 2005

「亡国のイージス」

boukoku軍事ポリティカルフィクションというのだそうだ。現実の国際情勢を絡めた軍事アクション。
このジャンルは疎いのだが、かわぐちかいじの「沈黙の艦隊」や「ジパング」が面白く、その連想で書店の文庫棚に平積みになっているのを手にとってみた。

一時期熱中して読んだ西村寿行の記憶が呼び戻されてきた。
「荒涼山河風ありて」や「犬笛」なんて読み終えるのが惜しいくらいに面白かったなぁ。

これでもかこれでもかってくらいに主人公たちは絶体絶命の危機に落ち、その都度生還し敵に立ち向かう。
夜を徹して読んだものである、もう20年以上前のことだけど。

この冒険小説もやはり主人公たちはなんどもなんども危機を迎えるのだが、どうしたことか「お、面白くなるな」と思ったすぐあとで睡眠薬のように眠くなってしまったのだ。
もちろん、花粉症とその服用薬による副作用というわたし側の要素はあるけど、でも無駄に重厚長大な部分は否めない。

最終の危機を脱するのが主人公たちの知恵と行動力ではなく、ひとびとの心の変化というのも、多分そうなるんだろうなと読めてしまう分だけ興ざめだった。
それと恐るべき化学兵器が最後に明かされる結末もちょっとなぁ、それはないんじゃないっていいたい。

状況の設定やディテールの描写は文句なくすごいんだから、もっと削るべきを削れば、寝食を忘れさせる傑作になったと思うんだけど。
最近の小説がみんなやたら長いのは出版元の要請でもあるんだろうか?

いつもながらの偏屈じじいのたわごとになってしまったかな。

踵を返した

そうそう、昔西村寿行絶好調のころ、所ジョージが好きな言葉として
踵を返した
というのを挙げていたのを憶えている。

強い意志と決意を胸に秘めた男というものは対する相手に失望したときに「踵を返」すのである。
軟弱な男や女、有象無象の一般ピーポーは踵を返してはいけない。
ただ元来た道を引き返すのみである。

「亡国のイージス」でも男たちは「踵を返し」ていたなぁ。

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March 18, 2005

『影踏み』

またしても、である。
出だしはよかった。横山秀夫の新境地か、と思わせる導入部だった。
中盤で馬脚を現した。
突き抜けられない。
なぜそうみみっちい人情噺にしてしまうのか。
これはもうこの作家の限界なのか。

主人公はノビ師といわれる忍び込み専門の泥棒稼業。あだ名をノビカベ。
相棒は15年前死んだ双子の弟。
弟はノビカベの耳の中だけに現れる。

ノビカベが刑務所を出所した日から小説は始まる。
ノビカベには恋人がいた。
その恋人は死んだ弟と取り合った仲。
二人が始めて結ばれた日に弟は焼け死んだ。

1章、2章と長編かと思って読んでいた。
連作と気づいたのは、各エピソードが羅列しているからだ。
まず、ここで興醒めした。
しかも、哀れな孤児のために継親の家に忍び込んでクリスマスプレゼントを誰にも気づかずに置いてくるというエピソードに及んで、本を投げ出したくなった。
少しづつ進展するノビカベ、弟、恋人の物語も、予定調和的。

読み終わって深い失望感が残った。
耳の中だけに存在する弟、最終的には消えることになるだろうというのは分かっていた。
それが恐らくノビカベの変化(教養小説でいうなら人間的成長)に根ざすだろうことも。
でもそれでは読者の想像の範囲内。
読者は裏切られることを望んでいるのだ。

乙一のようにあっち側に突き抜けられないものか。

もうしばらく横山秀夫はいいや。

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March 10, 2005

おもしろつまらない『看守眼』

kanshuganつうわけで先日図書館から借りてきた『看守眼』を読み終えました。
花粉症とそのクスリの副作用で頭がモーローとしてる割には読み飛ばすの、早いね。
以前にも書きましたが、この作家の本はどうしても買って読む気になれない。
でも、読んでみたい。面白いから。
でもつまらない。だから買わない。

最初に読んだ『半落ち』からしていけない。
あのラストはないよなぁ。
仮にああいうラストを許すとして、そこまでサスペンスを盛り上げていくっていうか維持していく力ってのが組織の面子というか見栄っていうんだもの。

組織やそれに属する人間の面子や体面がストーリーの重要な要素になっているのはこの短編集も同じ。
わたくしとていっぱしの社会人ですから見栄や体面というのはあります。
その辺をくすぐってくるから、どの作品も導入部でぐっと掴まれてしまう。
しかし、やがてその体面至上主義がいささか過剰に思えてくる。

それとこの作家に特徴的なのは視点になる人物の思い込みが激しいということ。
おいおいあんたそれ被害妄想だよって突っ込み入れたくなっちゃうほどだけど、ストーリーはその思い込み通りに展開してしまう。
で、落ちは大逆転というのではなくて半ひねり程度。

たとえば「秘書課の男」という作品(これが最後の作品なんでまだ憶えているから)。
県知事の腹心であった秘書課長の男がある日突然知事から疎まれてしまう。
ここから彼の疑心暗鬼が始まり、なぜ知事の不興を買うのか自問自答が始まる。
彼が出した答えは、部下の若手の策略。

彼自身が過去の出来事を反芻して、その出来事をネタにされたと思い込む。
で、やったのは若手秘書に違いないと思い込み、それを本人にまで告げるのだが・・。
ネタばれになるからこれ以上は書かないが、ここでも思い込みとしかいいようのない主人公の推理の通りことが進む。
それではミステリーにならないから、半分ほどひねった落ちをつける。
それとともにサイドストーリーで感動してください、読後感爽やかでしょって趣向なんだな。

うーん、作者の読者を引きずり込む力量は認めます。
作品の構成がみんな似たりよったりとはいえ、地方の警察だったり新聞社だったりという舞台の描写に一定のリアリティーもあって、仕事上のちょっとしたつまずきやら職場の人間関係やら読者に身近なエピソードから始まるから、どんどん読み進めてしまうんだな。
でも、『半落ち』からほとんど変わらぬ取って付けたような爽やかな読後感狙いのサイドストーリーと、メインの犯人探しが被害妄想的な思い込みしか提示されないというのでは、どうしても読後感は「ん?」感が付きまとってしまうんだなぁ。
この作品集もやっぱり借りて読むのが正解でした。

まあ、いまさら何度も繰り返し読み続ける本など滅多にあるものではないんで、すべからく本は図書館で借りて読めばよろしいのですが、図書館に行ける日には限りがあるので、どうしても立ち寄りやすい書店で購入することになります。
それでも読後感がよろしければ、読み返さないまでも手元に置いておきたいと思いますよね。
横山秀夫というひとの本は、面白かったけど手元に置きたくないというわたしにとって大層珍しい本になりました。
ヤフオクで読んだ本を売ったのは『半落ち』が最初でした。

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February 24, 2005

『半身』

hanshinいやー、やっと読み終わりました。花粉症の症状はほとんど出てないんですが、クスリの副作用がきつくて、この小説もずっと副作用を増強させてくれて・・。
つまり、読み始めると眠くなっちゃってさ。
でも、まあ読み終えたんだからエラい。

『荊の城』の作者の本邦デビュー作にして自身第2作。
読書界の評価でいうと本作が03年文春ミステリー1位、「このミス」1位。『荊の城』は04年「このミス」1位、文春は2位だったか。
私自身は先に『荊の城』を大変面白く読めたんで、その前作はどんなものかと興味深々でこの作を手にとった。
結論からいうと面白度は『荊の城』の足元にも及ばない。
その意味で先に『荊の城』を手に取ったのは私にとって実にラッキーだった。

この作を先に手にしていたら恐らく最後まで読み通すことはなかったろうと思う。
そして、『荊の城』を読むこともなかったろうと。
最後まで読み通せたのは、『荊の城』の印象がそれほど強かったからにほかならない。
で、『荊の城』ほどではないにしろ、読み通す程度には面白かったということだ。

末枝末葉の話になるが、中村有希というひとの翻訳文がいい。
たとえばこんな文。
>「すてきな布でしょう?わたしが選んだんです。お嬢様のために。もちろんベルベットじゃなくちゃいけませんわ。今日はお嬢様にも、奥様にも、この屋敷の皆にとっても素晴らしい日になりますもの。それに・・」

これはルースという侍女が主人公のひとり霊媒師ドーズに語りかけることばだが、これってありえない言い回しだよね。
でも、いかにも侍女が女主人に対していいそうな感じがある。

共通するのは外国映画の吹き替えの台詞回しだ。その抑揚のつけ方も含めて日常ではやはり絶対にしゃべらないいい方してるよね。アニメの声優の台詞回しにも通じる。

なにがいいたいかというと、誇張による効果ということ。言い回しをデフォルメすることで、人物の役割を明確にしている。その明快さが読む者にリズムを与えてくれるということ。

読み終えた印象は、『荊の城』同様女性コミックだなぁってこと。
両作ともモティーフの一つになっているのが女同士の愛情っていうのも、女性コミック的だし。
解説では監獄というメタファーやM・フーコーにも言及しているけど、そこまで読み込まなくてもいいと思うぞ。

正直、この作を読み通すのはつらいものがあったけど、次作が出たらまた手を出すと思う。
また『荊の城』で味わった興奮を味わいたいから。
また本邦未刊のデビュー作の翻訳刊行も待ち遠しい。

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February 15, 2005

『破裂』

haretsu今朝の朝日新聞〈ひと欄〉に作者の久坂部羊さんのプロフィールが載っていました。ちょうどこの小説を読み終えたところなので、グッドタイミングです。
それによると、作者は大阪大学医学部卒49歳の開業医。大学病院医局に勤務した7年間や、外務省医務官として官僚社会を体験したキャリアを生かして書き上げたそうです。
なるほどなぁと思ったのは、作者が若いころからロシア文学に親しんできたというくだりです。本作に登場する厚労省のマキャベリと異名をとる人物の造形が、あのスヴィドリガイロフの系譜を引いてるなぁと読みながら感じていたのですが、きっと作者もそのあたりの影響は否定しないのではないでしょうか。
そういえば、医療ミスを内部告発する青年医師の気弱さにラスコーリニコフの面影をみるのは、行き過ぎでしょうか?

でも、この小説でもっとも魅力的なキャラクターは、医療ミスを隠蔽し教授の椅子を目指すエリート助教授ではないでしょうか。
ある意味、ステレオタイプといっていい傲慢、不遜、独善のかたまりのような人物なのですが、その彼ですら厚労省のマキャベリの前ではただ利用され踊らされるだけの人物と分かり、哀れさを誘います。
怒りを増すほどに出てくることばが慇懃さを増してくるところなどは、ぞくぞくしてきます。感情を爆発させるだけが怒りの表し方じゃないんですよねぇ。

小説は、医療過誤をめぐる対立、大学内部の権力あらそい、高齢化社会の抜本的解決をめざす厚労省のマキャベリ氏の暴走プロジェクト、などが渾然となって二転三転する展開で、面白いといえば面白いのですが、けど消化不良感が残るのも否めません。
思うに、本当の主人公にすべきはラスコーリニコフ的青年医師ではなく鼻持ちならないエリート助教授ではなかったでしょうか。彼こそが、医療過誤対立と暴走プロジェクトを結びつける人物だったわけだし、その役回り以上に前にもいったように人物造形的にも作中もっとも成功していたと思えるからです。
エピローグが彼の後日談だったら、なかなか面白いピカレスク小説仕立てになっていたのではないかと夢想したりします。

どこかの雑誌の採点にならえば、★★★(満点は★五つ)というところでしょうか。
ちなみに本作は作者の第二作で、第一作に『廃用身』というのがあるそうですが、読んでみたいかと問われれば答えは「否」です。


※ところで13日の記事の写真が変な色だなぁって思ったら、ホワイトバランスがスピードライト設定になっていました。デジカメはこれがあるから・・。

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January 17, 2005

神は細部に宿る~荊の城(下)

ibara下巻を一気呵成に読んだぞ。けさはゴミステーションの鍵当番で6時前起床だというのに、夕方息子の学校で校長と会わなければならないというのに、この小説はおれを寝かせてくれないのだ。

プロットをたどり返してみれば、奇想天外、波乱万丈、七転八倒、ありえねぇ通俗小説なのだが、そこはさすが「このミス1位」、書き込まれたディテールのリアリティーが読者を離さない。
それは19世紀英国の生活様式の、たとえば寝室には貴賎を問わずおまるが常備されていたとか、貴婦人にも入浴の習慣はなく、かなりの悪臭のなかで暮らしていたと想像されるなどなどの描写だけでなく、少女たちの心のひだの活写もそうだ。

人物たちの造型、その行動の説得力、好奇心くすぐる風俗描写、それらへの興味が読者の視野を狭くするから、ストーリーのどんでん返しがいっそう不意を打つ。
だが、少女が「気狂い病院」を脱走する顛末のいささかご都合主義的展開と、「レディー・ジョーカー」のラストシーンよりももっと直截的な「おいおい、いいのかそれで・・・」感が、この極上のエンターテインメント小説の一点の曇りとなった。

なんちゃって。

しかし、こんなに熱中して読んだ本も3日もするとほとんどあらすじさえ憶えてないんだよな。十代のころ読んだ本なんていまでも憶えているのに。
だから忘れないようにってのもブログはじめた理由のひとつなんだけど、あらすじ書いたらネタバレになっちゃうからなぁ。

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January 13, 2005

荊の城(上)

ibaranoshiro腰巻の「このミス1位」に誘われてふらふらと手を出してみた。ええ、ベストテン作品ならそんなに外れはないだろうという安易な選択ですよ。
上下2巻本の出だし数十頁を読んだに過ぎないが、面白くなりそうな予感。
翻訳ものって、文章がこなれてない場合が多くて描写された情景をイメージするのが困難だったりするのだが、これはそんなことなくて、19世紀ロンドンの貧民街の様子がありありと眼前に浮かんでくる。
それぞれのキャラもよく立っていて、感情移入しやすい。
宮崎駿がアミメ化したら絶対面白くなりそうな、滑り出しではある。

いや宮崎駿といったのは早計だった。
この重厚さ、この心理描写の細やかさははデビット・リンチだろうか?

片に嵌めるつもりのお嬢様を愛してしまった盗人の美少女。
いよいよ陰鬱極まりない城館を脱け出し、喧騒の都倫敦へ。
だがそれはお嬢様の財産を狙った結婚詐欺の片棒を担ぐため。
まんまと財産をせしめたあとお嬢様は気狂い病院に閉じ込めてしまおうという計略だ。
嗚呼、盗人少女スウと薄幸の令嬢モードに待ち受ける運命やいかに。

と、思いきや物語は意外な方向に展開した。
なぜだ!!と思うと、それは騙りに嵌めようとしたり嵌められてしまったりの彼女たちの心のひだを覗かなくてはならない。
なんという力わざ、なんという細やかさ。
でも、肝心のお宝はちゃんと手に入るのかよ?

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